BIOGRAPHY |
ヴェルヴェット・ティーンのバイオグラフィ。 |
The Velvet Teenは、カリフォルニア州のSonoma Countyにて別々にバンド活動を行っていたJudah Nagler(ジュダ:Santa Rosa出身)、Joshua Staples(ジョッシュ:Oakland出身)、Logan Whitehurst(ローガン:Los Banos出身)の3人によって結成されたバンドである。 2000年にLittle Tin Frogが解散した後、ジュダはThe Velvet Teenという名前のソロ・プロジェクトを始める。この年の3月、当時19歳だった彼はカリフォルニア州のペタルマ市にあるGrizzly Studiosで6曲入りEP「Comasynthesis」を制作する。この作品にドラマー/バック・コーラスとして参加したのがローガンであった。こうして、The Velvet Teenは2人組のユニットとして新たなスタートを切る。 当初、The Velvet Teenではジュダがヴォーカルとギター、ローガンがドラムを担当していたが、更なる音楽的発展の必要性を感じた2人はThe Wunder YearsやEdaline、The Conspiracyといったバンドで精力的に活動し、予てから2人の音楽に興味を示していたジョッシュをベーシストとして迎え入れる。そして2001年1月、3人組として初の音源となる3曲入りEP「The Great Beast February」を制作する。ジョッシュの加入により、それまでの打ち込み中心の曲作りから、よりライヴを意識した曲作りへと変化を遂げる。 そして、このEPがきっかけとなり、ポートランドのインディ・レーベル、Slowdance Recordsと契約を結ぶ事となる。 2002年1月、3人はDeath Cab For Cutieのクリス・ウォラのプロデュースの下、NirvanaやSleater Kinneyなども使用したことで知られるシアトルのThe Hall of Justiceというスタジオで1stアルバム「Out of the Fierce Parade」をレコーディングする。制作期間は僅か1週間程であった。 美しく繊細なメロディとコーラス・ワーク、静寂から衝動へと様々に表情を変える3人のアンサンブル、感受性に溢れた歌詞、飛翔するファルセット・ヴォイス…。 「音楽には僕のこれまでの人生が詰まっている。もし、曲を書かずに1週間やり過ごしたら、居心地が悪いと思う…。そうしないと、死んでしまいそうになると身を以って知っているから」と、殆どの楽曲を手掛けるジュダは語る。そして、この作品により、彼らは全国的に知られる存在となって行く。 初のフル・アルバム発売後、彼らはメジャー・レーベルからの誘いを断り、Death Cab for CutieやCursive、Minus the Bear、Denali、Engine Down、Rescue、The Exit、The Ghost、The Gloria Record等といったバンドと共に、殆どの時間をツアーに費やす。2003年6月には、ここ日本でも彼らのアルバムが発売され、同年11月にはデンマークのバンド、Mewのオープニング・アクトとして念願の初来日を果たす事となる。 その後、彼らは本国でのライヴ活動と並行しつつ、新たな作品の制作に着手する。当初はピアノによる楽曲を中心としたミニ・アルバムが予定されていたが、ストリングスが導入されるなど制作過程に於いて楽曲は徐々に成長を遂げ、初の完全セルフ・プロデュースによるレコーディングは、当初の予定よりも大幅に長期化。更には、オリジナル・メンバーであるローガンが病気の治療、そしてソロ・プロジェクトであるThe Junior Science Clubとしての活動への専念を理由に、バンドを離脱。 それらを乗り越えて完成したこの作品には「理想郷」を意味する「Elysium」という名が与えられ、日本では2004年5月(米国では同年7月)に正式な2ndアルバムとして発表される。そして、彼らはThe Americasのケイシー・デイツを新たなドラマーとして迎え入れ、アメリカ・ツアーを開始する。 「曲を書いて、演奏して、そのおかげで世界中の沢山の素敵な人たちと知り合えるなんて、僕たちは世界で一番ラッキーなやつらだと思うよ」と語る彼ら。2004年11月には、盟友ティム・ケイシャー率いるThe Good Lifeと共に、2度目の来日公演を果たしている。 2005年は各々のサイド・プロジェクトやソロでの活動が中心となり、バンドとしての活動は鳴りを潜めていたが、翌2006年には、本格的にバンドとしての活動を再開する。
5月には、シングル「GyzmKid」のプロモーションの為に来日。そして、翌月には、ケイシーが加入してからは初めてとなるフル・アルバム「Cum Laude」を発表。
前作とは一線を画す、アグレッシヴなデジタル・サウンドの導入。その大きな変化に、驚きと戸惑いを隠せないファンも少なくはなかった。それに対し、「そういう変化についてこられないリスナーがいることも理解しているけど、音楽的な進化を繰り返す中でザ・ヴェルヴェット・ティーンというバンドはかつてないほどパワフルになっていると信じているんだ。それにあわせてファンも進化してくれるはずだ、とも信じているよ。」(「Sideout Records」ウェブサイトより引用)と、ジュダは語っている。
結果、そのサウンドは、今まで彼らの存在を知らなかった新たなファンをも取り込むこととなり、9月に行われたCursiveとのダブルヘッドライナー・ツアーは、大盛況の内に幕を閉じた。
しかし、11月には自身のバンドThe New Trustの活動に専念する為、ベーシストのジョッシュ・ステイプルズが脱退。
そして、12月3日には初代ドラマーであったローガン・ホワイトハーストが、脳腫瘍の為に逝去。この2つの出来事はジュダに大きな衝撃を与え、暫くの間、彼は音楽活動自体から遠ざかることとなる。 (※注1)「Out of the Fierce Parade」国内盤の解説では、ジュダが参加していたバンド名が「ザ・サーカス」となっていますが、「ティン・サーカス」の誤りです。 また、「リトル・ティン・フロッグ」に加入していたのがローガン、「コンスピラシー」に加入していたのがジョシュアとなります。 (2017年10月10日加筆修正)
|